これまでの人生の振り返り

 こんにちは、アルです。

 先日、落合陽一准教授(筑波大学)のご著書「デジタルネイチャー」を読了しました。自身の文脈で語る先生の思想は非常に魅力的で、大変感銘を受けました。(特に若い方に)オススメなので、皆さんも是非読んでみてください。

             

 今回は、自身の現在の性格や価値観がどのように形成されてきたのかを確認するために、僕も改めてこれまでの人生を振り返ってみようと思います*1

〜目次〜

遊戯王だった

 僕が記憶を鮮明に思い出せるのは、遡ると、幼稚園で「親友」と呼び合える友人たちと遊び始めた頃からである。誰かに教わることもなく、近所の山や川へ毎日のように冒険しに出掛け、生き物取りや秘密基地作りに没頭していた。小学校に入ってからは、スーパーファミコンゲームボーイNINTENDO64PlayStationなどを買ってもらい、バーチャルの世界での遊びにもハマり始める。また、当時はカードゲームも大流行していて、レアカード欲しさにお小遣いの殆どを注ぎ込んでいた。これらいずれの遊びにおいても、僕は常に友人たちの間で中心的な存在であった。ちなみに、授業中も机に落書きをして遊んでいた。

 中学校と高校は部活動*2のために通い、授業中は相変わらず落書きをしたり漫画を読んだり別のことを考えたりして遊んでいた*3。今振り返ってみると、人生であれほどまでにスポーツに没頭した期間はなかったように思う*4。恐らく、この時もスポーツにゲーム感覚でのめり込んでいたのだろう。学部進学時にはやりたいことが特になく、とりあえず地元の国立大学*5へ進学することに決めた。

勉強と研究のギャップを知る

 大学に入ると*6、知的好奇心を燻る講義*7が数多く用意されていたので、それらは真面目に聴講し内容を吸収した。図書館の蔵書数も高校時代までとは比べ物にならなかったので、通い詰めで本に読み耽け、将来はアカデミックに残ることも真剣に考えた*8。だが、実際に研究室に配属された後に、勉強と研究のギャップを思い知ることになる。新しいことを学び、吸収していくことに対しては喜びを感じられたものの、その先駆者となって分野を開拓していくには相当のモチベーションがなければ厳しいと感じたのである。

 学生の研究テーマというものは、所属する研究室のプロジェクトとそのタイミングでほぼ決まってしまうため、運要素が非常に強いと言える。僕は第一志望の研究室に配属されたものの、不運にもお目当ての教授が丁度多忙の時期を迎えており、その為希望していなかった他の先生の研究テーマが割り当てられてしまった。アカデミックに残るどころか、博士号を取得するためのモチベーションすら保てそうになかった。

人生をゲームとして捉え直す

 数ヶ月間に渡って思い悩んだ結果、企業に就職する道を選ぶことにした*9。研究室を変更するという選択肢もあったが、

  1. 同じ研究を最低限3年程度続けなければ、何も得られず中途半端な形で終わってしまうのではないかと感じたこと
  2. 幸い研究室の同期が皆非常に優秀であり、彼らと交流することで得られるものが非常に多かったこと

の2点を理由として、修士までは同じ研究室で過ごすことにした*10。馬鹿馬鹿しい就職活動は、一種のゲームだと思って役者になりきり、第一志望群である企業の内定を総嘗めで獲得*11。就職先選びの軸*12としては、①ビジネスモデルとして参入障壁が高いこと、②複数の汎用的スキルが身に付くことを重視した。

 就職後には、大手企業独自の非合理・非効率的な制度/慣習の中で上手く立ち振る舞いながら*13、スケジューリングとストレスマネジメントに関して徹底的に研究し、将来を見据えて戦略的にスキルセットを拡張しつつ洗練させていった*14。その成果もあって、今では部署の中で、若手ながら自分が先導して立ち上げたプロジェクト群を並行して進める特異な存在となっている*15

終わりに

 20代ももう後半であるが、これまでは探索の期間であったように思う。以降はこれまで育んできた性格・価値観とそれらに基づくモチベーションで高みを目指し、ポジティブスパイラルを一気に駆け昇っていこうと思う*16

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*1:自身の状態をフィードバックすること無しでは、平均化された自然の流れ場に人生の方向性を支配されてしまい、ポジティブスパイラルを引き起こすシンギュラリティへ向かって自らをアップデートしていくことなどできません。ありのままの現実の自分を受け入れることで、前に進むための有効な行動を戦略的に取ることができるのです。

*2:教養として、部活動競技に英国スポーツであるサッカーとテニスを選択。ちなみに、中学校に入るまでは、国技として剣道を習っていた。精神と身体は切っても切れない関係にあるため、若い内から心身ともに鍛えておくことが重要だと今になって強く感じる。現在は主に筋トレによって、身体性の向上に努めている。

*3:公立だからだろうか。高校卒業までの間、学校の先生の説明から何か気付きを得られた経験が殆どないように思う。基本的には、一人で教科書を読んで演習書を解き納得するだけであった。

*4:社会人になってようやく本格的な筋トレを始めたにも関わらず、あっという間に全身の筋肉は大きく膨らんでいった。やはり、学生の頃の部活で上半身と下半身の両方を鍛えておいたお蔭だと思う。 https://wired.jp/2018/03/11/muscle-memory/

*5:当時、滑り止めとして、慶應義塾大学早稲田大学を受験。国立大学の合格発表前に入学金を一部(約20万円)払わせる私立大学のやり方に対して、学生ながらも強い憤りを感じたのを覚えている。

*6:当時はiPhone3Gが日本で発売され始めて間もない頃であり、僕もガラケーから乗り換えることに。同時に、日本語版サービスの黎明期にあったTwitterを逸早く始める。SNSで緩く横に繋がるメリット、情報を取捨選択することの必要性などについて学ぶ。一方で、Twitterに比べてコミュニケーションコストが大きいFacebook(2008年)やLINE(2011年)などへの登録はいずれも2年程度遅れている。例えば、LINEに関しては就職活動を始めた2013年に渋々導入した。なお、可愛い彼女ができた今では、LINE上での言語/音声/画像(絵文字・スタンプ)を用いた深いコミュニケーションが最も楽しかったりする。

*7:座学だけでなく、物理学実験やプログラミング実習なども充実していた。特に、当時学内で開催され始めたばかりであった「ものづくりイベント」には毎年参加し遊びながらエンジニアリングするという体験をさせてもらったのは、本当に良い想い出である。

*8:高校時代と同様に大学でも部活動/サークルやアルバイトに明け暮れる予定であったが、1年以内に全て辞めてしまった。味気ない義務教育を終えて最低限の基礎学力は身に付けていた当時、巨人の肩の上に乗って眺める景色はあまりに美しかったのだ。

*9:学部に入ってからは長らく学問に没頭していたため、その他のことに対して十分な時間を割くことができていなかった。そこで、アカデミックに残らない決断をしてから、時間の全てを研究に注ぎ込むようなことは即刻辞めて、バイクで風を切りながら日本中旅することにした。特に、北海道を一周した時に味わった感動は今でも忘れない。将来、自動運転が普及すると、自分で自動車を操作しドライブするという楽しみを享受すること自体が難しくなるかもしれない。エンジニアリングを生業とする者として、こういった身体性を伴う体験は今の内にやっておくべきだと強く感じている。

*10:サーベイした後に、自身でオリジナルのアイデアを創出し、実装まで持っていくという経験が決定的に重要なのだと思う。局所的とは言え、未開拓なテーマにおいて、理解が非言語的な領域にまで及ぶということは単純に自信へと繋がるのだろう。上記プロセスにおいて、他人から得られる気付きや知見のフィードバックは必要だが、あくまでこの行ったり来たりの繰り返しがある程度少人数の人間で閉じていないと情報の遅れや滞留が生じ、光学的共振現象に見られるような鋭いブレイクスルーを起こすことが困難となる。企業就職する学生にとっての研究室とは、そういうことを疑似体験する場なのであるのだと今は考えている。

*11:何事にしろ、数ある選択肢の中から自分の意思で選ぶということは、その選択による結果を上手く受容できるか否かに関わるため、非常に重要である。

*12:大学院生にありがちな研究テーマへの拘りは一切消し去り、自身の学んできたことを汎化することで、様々な企業のリクルーターさんからお誘いの声が掛かった。非常に有り難いことである。

*13:研究室配属時と同様に企業就職後も、思い描いていたものと乖離があったため、最初の方は悩むことも度々あった。世の中、実際にコミュニティに所属してみないと分からないことが非常に多く、そういう意味で人生は運ゲームであり、だからこそ面白いのかもしれない。なお、苦しい停滞期に、行動の活性化エネルギーを幾つも乗り越えることができたのは、当時から支えてくれた彼女の存在が大きい。美女とのラブラブセックスはモチベーションを爆発的に高めてくれる。

*14:自身における思考の波(集中や拡散)を把握し、それに応じて時分割的に種々の仕事を捌いていくこと。本流の仕事を、ブルーオーシャンで、ストレスフリー(嫌なこととの差集合)かつ情熱を注げる(好きなこととの積集合)方向に努力して持っていくこと。自己投資は最も利回りが良いので決して惜しまないこと。

*15:幸福とは、自身の価値観に沿った形で、自分の能力によって、コミュニティへ貢献しているという確信から得られる。

*16:自身の希少性向上は、今後の人口減少が更に後押しする。したがって、今後もより高度なプロジェクトへの参画要請が掛かり続けると確信している。